日記・コラム・つぶやき

坂口安吾「堕落論」より

31984506 「日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母体によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ堕ちよ、その正当な手順のほかに、真に人間を救い得る便利な近道がありうるだろうか。(中略)終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、みずからの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由ではあり得ない。なぜなら人間は生きており、また死なねばならず、そして人間は考えるからだ。(中略)人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な道はない。戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。」(坂口安吾)

価値観とは、いかにも漠然として、相対的で、曖昧で、身勝手なものですよね。日本の価値観も、あの敗戦を境に変わったのではないでしょうか。坂口氏は人間は堕落するとします。それは、逆説的ではありますが、自己肯定とも、慰めとも、激励ともいえます。昨日まで信じ切っていた正義が、次の日まるっきり逆になっていたらどうでしょう。おそらく、人は自己嫌悪に陥り、自分を責めるでしょう。しかし、人間は本来弱く脆いものだと思えば、励ましになりませんか。それが、きっと坂口氏のおっしゃる「堕ちる」ではないでしょうか。堕落してはいけません。そう私たちは教えられます。それは何故か。人間は、実に弱く、堕落し易いものだから、何度も戒められるのだと思います。

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開高健「開口閉口」より

「医と信にかけたピューリタン魂が随所に跳躍するが、いたわり、思いやり、無邪気、ユーモア、いきいきとした知的好奇心などに接していると、医は仁術であって算術ではないと、よくわかるのである。つまりここでは初心が生きているらしいのである。病院からそれをぬいたらあとはメスと薬瓶とレントゲン機械があるだけ」(開高健 麦茶を飲んで讃美歌を)

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近頃は、医は仁術などという、姿勢を正した言葉を吐くことが、恥ずかしくもありますね。しかし、患者の気持ちは、時代を越えて変わることなく、医者の袖を掴んで何度でも自分の病状を確認したいものです。そんなとき、医者の言葉や態度が、どれだけ患者を励ますでしょう。開高氏の言葉に、その思いが込められていますね。

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吉行淳之介「原色の街」より

「気に入るということは、愛することとは別のことである。気に入るということは、はるかに微温的なことだ。愛することは、この世の中に自分の分身を一つ持つことだ。それは、自分自身にたいしてのさまざまな顧慮が、倍になることでもある。そこに愛情の鮮烈さもあるのだが、彼はわずらわしさが倍になることとして、そこから故意に身を遠ざけていた。それは彼が怠惰なためでもあり、又、感じ易すぎる自分自身にたいして疲れているためでもあった。」(吉行淳之介)

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愛と恋の違いについてと、言い切ってしまっては、吉行氏に申し訳ない気もするのですが、現在では、この両方の違いをTVやなにかで聞くことがあると、思います。愛は自分が二人になる。つまり、愛する相手も自分自身のように思い遣るということでしょう。私は、その後の、吉行氏の感性を、芸術家らしく思います。愛を遠ざける理由を、主人公の怠惰とし、又感じ易すぎて疲れるからとする。その主人公はもちろん作家そのものなのでしょう。その風にも震えるような繊細で張り詰めた神経が、作家の文体を独特の匂いが漂い、色合いのあるものにしたのでしょうね。

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安部公房「砂の女」より

「(前略)自分が何者であるかに、目覚めさせてやるだけでも、立派な創造じゃありませんか?」

「おかげで、新しい苦痛を味わうための、新しい感覚を、むりやり身につけさせられる」

(安部公房)

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自分が何者か?なんて知りたくもないですよね。しかし、芸術や哲学などの学問によって、そういった自己分析に目覚めることはあります。たしかに、それに目覚めさせた側は、創造でしょうけれど、自己分析は、すなわち、安部氏のおっしゃる、新しい苦痛ですから、困りものですね。自己分析はほどほどに。

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ヘミングウェイ「ぼくの父」より

「この世の中って、せっかく本気で何かをはじめても、結局、何もあとには残らないみたいだ」(ヘミングウェイ)

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人は自分が不幸なときには、運命とやらを真剣に考えたりしますね。運命のせいにしさえする。また、運命を思わなくても、自分の意図しないところで成功したりもしますね。人は、自分の意志によって、目指した目的に到達したとき、初めて幸福を感じるのかもしれません。自分の意志の向く方向から逸れたとき、他人から見ると幸福でも、本人は意外に欲求不満だったりするものです。ヘミングウェイの言葉は、そんな人間のくすぶる不満を表現しているように思えます。

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トルストイ「戦争と平和」より

「時間の一定の条件の中でおこなわれ、幾多の生命のない機械を動かすのが一つの意志ではなく、すべてが雑多な恣意の無数の衝突から生まれる戦争・・・」(トルストイ)

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現在も世界各地で、戦争が起こっています。私たちは幸い戦争のない現在の日本に生まれました。しかし、この日本でさえ60数年前には大きな戦争の渦中にあったのです。人間には、意思があり、感情があり、肉体があります。為政者の意志一つで、国民が機械になって、戦うのではない。戦争当事国の細胞組織となって、勝手気ままに、ただ、相手国を打ち負かすことのみを目的として、人間として無謀に振舞うのが戦争だと、トルストイは指摘します。

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「地下街の人々」ケルアックより

「男ってクレイジーね。みんなエッセンスを欲しがるわ。女がそのエッセンスなの。それが手のなかにあるのにみんな大袈裟な抽象的なものをこしらえようとして向こう見ずなことをするのよ。」(ケルアック)

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男は、夢ばかりみる動物かもしれませんね。現実に必要なことは、十分理解しているのに、やはり理想の方を向いている。女は、それがじれったくて、情けなくて、あきれるのでしょう。それが、ケルアックの言う、大袈裟な抽象的なものをこしらえる作業ではないでしょうか。そして、その夢のために、時として、人生をかけたりする。男は愚かかもしれませんね。だからこそ、愛すべき動物なのです。

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「沈黙」遠藤周作より

「罪は、普通考えられるように、盗んだり、嘘言をついたるすることではなかった。罪とは人がもう一人の人間の人生の上を通過しながら、自分がそこに残した痕跡を忘れることだった。」(遠藤周作)

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私たちが罪という言葉を用いるとき、おそらく犯罪を思い描いていますね。しかし、狐狸庵先生の仰る罪は、内面の罪、心の罪とでもいいますか、目に見えない罪ですね。たとえば人を疵付けてしまう場合、悪意をもって積極的に誹謗中傷するときと、完全に無関心であるときとが、あるように思います。もちろん、どちらも、被害者側にとっては、辛い経験ですが、誹謗中傷には、疵付ける側に相手を疵付けるという認識があります。しかし、無関心であることは、疵付ける側に認識がない分だけ、繊細な問題のように思えます。知らぬ間に相手が怒っていたという経験を、多かれ少なかれ、誰しももっていると思います。ある人とのわずかな時間の出会いでさえ、私たちはお互い、痕跡を残し合っているんでしょう。その痕跡を記憶の小さな滲みでもいいですから、認識しておきたいものです。それが、優しさであり、思いやりなのだと思います。

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「原色の街」吉行淳之介より

「人は、追いこまれた立場から脱け出ることも考えるが、又その立場を意味づけることも考えるものだ」 (吉行淳之介)

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私は、若い時分、吉行氏の作品に勇気づけられたことが、随分あります。氏の作品には「性」を扱ったものが多いですが、氏の言葉の中にふと、氏のダンディズムが顔を覗かせ、それが、何とも、さりげなく自然で懐の深さを感じさせるのです。上記の言葉もそうだと思います。「追いこまれた立場を意味づける」これは一体どういうことでしょうか。私たちは、不幸に見舞われると、つい他人のせいにしがちです。しかし、その現況をよくよく省みてみると、自分にも落ち度があったり、相手の言い分が理解できたりして、結果が好転することもよくあることです。そのことを、氏は実にあっさりと、仰るものだと感心します。

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つぶやかして、いただきます2

 遠くに霞む山々は、

 どこまでも、静かで、泰然として、優しい

 心の傷が癒えた。

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