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2008年11月

「他力」五木寛之より

「これまで、笑いとかユーモアは高級であり、涙とか泣くということは、封建的で前近代的なものだといわれてきました。(中略)いまはテレビやステージをひっくるめて、笑いの全盛時代ですが、日本人は、本当に悲しむということを失い、涙をばかにするようになってからだめになったのかもしれない、と思います。(中略)私たちは、自分たちの「いまある姿」、そして「あるがままの心」に目を背けることをやめ、それを認めるときにきているのではないか。(中略)根本にあるのは、ひとりぼっちだという疎外感です。この疎外感を増長させているのが、涙を切って捨てる近代主義ではないでしょうか。」

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これは随分前に書かれた五木寛之さんの記述です。しかし、現代でもその提言は色褪せるどころか、さらにその内容を色濃くしているように思えます。この中で英語の歌が多いのは、現実から少しはなれたところで歌を聴いていたいという心理からではないか、とおっしゃっています。あまりにも身につまされる曲は、不安を掻き立て、ちょっとした寂しい風に頬をなでられたような気になります。しかし、それが本来の人間のあるべき姿であり、ロボットでも、コンピューターでもない血の通った動物であることの証拠です。そこから目を背けず、まただからこそ、お互いがお互いの不安や悩みを共有でき、助け合えるというものではないでしょうか。私たちは人間でないものに喜びを感じ、それを進歩としています。それは一方では、正しいのでしょう。、しかし反対側にある人間的なものを忘れては、進歩とばかりはいってられないでしょう。

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