「詩の原理」萩原朔太郎著
「即ち真に感情で書いたところの、実の本物の詩にあっては、言語が概念として使用されず、主観的なる気分や情調の中に融けて、それ自ら「感情の意味」を語っているところである。これに反して似而非の詩は、言語が没情感なる概念として、純に「知性の意味」で使用されている。」 (萩原朔太郎)
私たちがふだん使用している言語は、何かを伝えるために発します。萩原朔太郎は、本物の詩にあっては、言語は概念として使用されないといいます。つまり、珈琲店(カフェ)という言葉を聞いたとき、本来は、AさんBさんそれぞれの店のイメージが浮かびます。しかし、概念としては、コーヒーを飲み軽食を食べながらちょっと休憩できる店くらいでしょうか。しかし、このAさんBさんでは違うはずのカフェを表現しなければならないのです。さらに、そのときの感情も加える必要があります。それが、主観的なる気分や情調の中に融けて、ということでしょう。萩原朔太郎は、カフェを次のような詩にしています。
閑雅なる食欲 *珈琲店はカフェと呼んでください。
松林の中を歩いて
あかるい気分の珈琲店をみた。
遠く市街を離れたところで
だれも訪づれてくるひとさへなく
林間の かくされた 追憶の夢の中の珈琲店である。
をとめは恋恋の羞をふくんで
あけぼののやうに爽快な 別製の皿を運んでくる仕組
私はゆつたりとふほふくを取って
おむれつ ふらいの類を喰べた。
空には白い雲が浮かんで。
たいさう閑雅な食慾である。
詩中ではもはや、ただ軽食を出して休憩するだけのカフェではありませんね。言葉の組み合わせといっては、味気ないですが、このパズルによって、詩中の感情が伝わるとは思いませんか?
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