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鈴木大拙より

「これは花瓶である。しかし、これを花瓶だと見るときに、この花瓶と私との間に、花瓶とはこういうものだという先入観が入り込んでしまっている。それではこの花瓶とわたしがほんとうに一つになっていることとは言えぬ。それでは現実がない。だから、花瓶を花瓶と見て花瓶と見ない見方が必要なのである」(鈴木大拙)

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これは「禅」独特の視点ですね。ふだん私たちは、物を見て認識し、その用途などを判断するわけですが、この判断には主客が明らかにありますね。主客とは、すなわち、自分と他者を分けて見ることですから、自分が神仏でもない限り、その対象物の本質を見誤ることになりはしないでしょうか。その判断が無くなるということは、自他がなくなることですね。それによって、本質を見極めることが出来るようになるわけです。しかし、このような定義づけそのものさえ、意味を成さないものでしょう。

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