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井伏鱒二「荻窪風土記」について

夏目漱石や、芥川龍之介や、太宰治やらの文章に慣らされていた時分、井伏鱒二の作品を読みにくいと、感じました。その感じは、無味乾燥な文章だという思いに近いのです。決して今が優れているとは言いいませんが、まだ読者として未熟だったと近頃気づかされます。井伏氏の作品は、まちがっても無味乾燥などではなく、気取った形容詞を排し、事実を事実として伝える透明感があるのです。それでいて、行間に井伏氏の伝えたい情念が、ゆらゆらと漂って、そのほのかな感性に操られ、私たちは、知らぬ間に井伏氏の導く方向へ動かされているのです。            

「荻窪の天沼八幡様前に、長谷川弥次郎という鳶の長老がいる。」で荻窪風土記は始まります。その人と、井伏氏は最近知り合いになり、弥次郎さんからの、談話を紹介します。「弥次郎さんの話では、関東大震災前には、品川の岸壁を出る汽船の汽笛が荻窪まで聞こえていた。ボォーッ・・・と遠音で聞え、木精は抜きで、ボォーッ・・・とまた二つ目が聞えていた。」これから関東大震災の状況を伝えていく、その書出しです。長閑な書出しですね。だから、よほど、震災の恐ろしさが、伝わると思いませんか。嵐の前の静けさですね。だからといって、井伏氏の文章は情緒的ではないのです。腹が立つことがあった日の夜、ためしに日記を書いて見てください。必ず情緒に文章は引きずられて、みっともなく、だらしなく、みすぼらしい、見るに耐えない、女々しい文章になっているはずです。それが普通なのです。しかし、井伏氏は違うのです。それを、理解したうえで、読み進めると、勉強になります。

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