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モーム「月と6ペンス」より

「しかし一つだけ、私にはっきりとしめしたことがあった。つまり、人々は美について軽々しく語り、言語感が欠けているものだから、美という言葉を不用意に使い、そのために、その力を無としてしまっている。そして、その言葉が表すものは、無数のくだらぬものとその名を共有して、すっかり威厳を失ってしまっている。人々は、衣服、犬、説教を、美しいと呼ぶが、「美」そのものと顔をつき合わせると、それを認知できないのである。なんの価値もない思念を飾り立てようとする空虚な強調が、彼らの感受性をにぶらせるのだ。だがたまさか感じた霊力を贋造する山師のように、濫用したために、その力をなくしてしまうのだ。ストルーフェは、始末のわるい道化ではあったが、美にたいしては、誠実でまっすぐな彼自身の魂そのもののように、誠実でまっすぐな愛情と理解とを持っていた。美が彼に意味するものは、神が信者に意味するものと同じであって、美を見ると彼は畏怖したのだ。」(サマセット・モーム)

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この小説は、ゴーギャンをモデルにしたと聞きます。上記文章のストルーフェは、ゴーギャンのことだろうと思います。小説家は、主人公初め、登場人物に自身の思想を語らせるのが常ですから、ストルーフェの言葉は、同時にモームの思想でもあるのでしょう。「美」とは、何か。私たちは言葉の中身を深く意識せずに、その外側で使用し、陳腐化させます。しかし、大切なのは中身を認識して使用することだろうと思います。花を見て、美しいと思う、その美と、仏教建築を見て素晴らしいと感じる、その美。そこには、同じ感嘆があります。熟考してみてください。その美そのものに感嘆したのか、その奥にある歴史に感嘆したのか。何も間違いは、ありません。ただ、じっくり自分の感想を味わうのもいいじゃありませんか。

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